私の人生とものづくり
気づけば、いつも何かをつくっていた。父や叔父が建設業に携わっていた我が家には、建築資材の端材があふれ、私はそれを使って船や飛行機をつくって遊んでいた。「こうしたらどうなる?」と試行錯誤する時間が、何より楽しかった。進路を考えるころには、自然と建築の道を志し、工業高校から建築学科のある大学へ。
ものづくりは単なる遊びから、自分の人生に入り込んでいった。就職活動では建設業界に絞り、アート建工と出会う。
「設計志望です。」そう伝えた面接で、社長は言った。「まずは営業として、お客様の考えに触れるべきだ。」戸惑いもあった。自分に営業なんてできるのだろうか。けれど、それ以上に「この人についていきたい。」と思わせる何かが社長にはあった。口をついて出てきた言葉は、「やらせてもらえるのなら、ぜひ。」あの瞬間、自分の中で何かが動き出した。
広がる視界
しかし案の定、営業は甘くなかった。口下手でコミュニケーションが苦手だった私は、何度も挫けそうになった。うまく話せず、お客様から「営業なのにそんなこともわからないのか!」と叱責されたこともある。それでも、逃げずに誠意を尽くした。何度も足を運び、会話を重ねるうちに、少しずつ心を開いていただけるようになった。世間話が増え、やがては相談まで受けるように。あのとき、未熟な私を叱ってくれた方は、今ではすっかり私を信頼してくださり、十年近い付き合いが続いている。
4年の営業経験を経て、念願の設計部に異動。営業で培った「言葉の奥にある想いを汲み取る力」や「真摯に向き合う姿勢」は、設計において何よりの武器になっていた。だが同時に、次の課題も見えてきた。「描いた図面は、現場で本当に形にできるのか。」そう考えた私は、現場で施工管理を行う部署への異動を願い出て、それは受理された。
「人の暮らし」を描く
わざわざ自ら望んだ場所。怒られることも覚悟で、現場の職人さんたちにどんどん質問を投げかけた。設計をしていると、「この部分の施工は難しいだろうな。」とわかっていることもある。でも、良いものをつくるには、無理を承知でお願いするしかない。私は、その「無理」が何なのか、どう難しいのかを知りたかった。なぜなら、それがわかってこそ、本当に良い設計ができると思うからだ。最初は、面倒な奴だと思われていたかもしれない。それでも、「いい家をつくりたい。」という思いは皆同じだった。現場の人たちはていねいに教えてくれ、本当に多くのことを学ばせてもらった。
そして現在、私は再び設計部にいる。営業と施工管理で得た経験を糧に、図面の先にある「人の暮らし」を描いている。幼いころから私のなかにあった「ものづくりがしたい。」という思いは、今、最高の形で実現している。この仕事を通して、人の幸せを生み出し続ける、そんな存在でありたい。