がむしゃらだった学生時代
小学2年で卓球を始め、気づけば14年間続けていた。中学で全国大会に出場し、高校はスポーツ推薦で進学。そこには卓球部がなく、創部1期生として声がかかった。一からつくっていけることに胸が高鳴ったが、現実は厳しかった。朝練を含め毎日7〜8時間の練習に加えて自主練もこなした。しかも、もっと辛かったのは生活自体だった。実家を離れた下宿先は古い一軒家で、2部屋に4人暮らし。毎日夜まで部活した後に洗濯。先輩がいなかったので、教えてくれる人もおらず、高校生の自分にとっては厳しい日常が続いた。
そんな中でも、創部1年目で県大会3位。どうしても1位を獲りたくて練習メニューを自分で考え続けた。そして最後の試合。相手はずっと勝てなかった強豪校。勝利がちらつくも結果は2位だった。そこでインターハイへの道は閉ざされた。
No.1を掴む感覚
そんな自分が、就活でアート建工に出会い、惹かれたのは無理もない。大学も卓球の推薦で、地元を離れて進学していたが、地元の企業を見ているなかで、目に留まった「地域No.1になる」というフレーズ。まだ知名度も高くない存在から、頂点を目指す姿勢にワクワクした。大手企業のようにすでに出来上がっている環境ではなく、自らつくる手応えをまた感じてみたかった。そして、今度こそNo.1を獲る!そう思い入社を決めた。
配属は営業。持ち前の粘り強さでコツコツ取り組み、順調に数字を伸ばすことができた。当時は数人しかいなかった営業も、今では20人ほどになり、売上は順調に伸び続けている。次に目指すのは、県を超えて、山陰制覇。自分の頑張りが、会社の成長に直結し、No.1を掴んでいくこの感覚がたまらない。
自らの手でつくる実感
現在、私は、店長として営業マネージャーの肩書きを持つ。人材育成、安定的な売上確保など、マネージャーとしての課題は山積しているが、私には描く未来があるから頑張れる。それはNo.1の先にある、地元であるこの山陰というまちを変えること。
私たちは不動産を取り扱う仕事をしている。今は家を建てることがメインになるが、土地があれば家だけでなく、店舗や事務所、クリニックなど、生活に必要な施設もつくることができる。それらが整っていけば、「暮らしやすいまち」になっていく。ここに住む人が「家」はもちろん、「地域」に住むことに幸せを感じられるようになれば、山陰はもっと明るくなるはずだ。そんな未来を、自分の力で切り拓くために。私はまた、新たな挑戦をしていく。