幼いころから事業を営む父の背中を見て育った私は、
当然のように自分も経営者になるものだと信じていた。
学生のときから、未来の会社像を描くくらいに。
「人の幸せを通して、自己実現できる会社をつくりたい。」
この思いが顕在化したのは、入社してすぐだった。
最短距離で経営者になるため、私は大学卒業後すぐに父の会社に入社。
最初に与えられた仕事は、競売物件から債務者である住人を追い出すことだった。
簡単に言えば、住宅ローンを支払えなくなった人に、
「この家から出ていってください。と頭を下げる仕事だ。
この経験は、心に強く残った。
人を不幸にしたらいけん、と。
誰かがやらなければいけない仕事であっても、
私は、人を幸せにする仕事がしたい。
自分が望む経営者像は、そこにしかないと確信した。
それから10年が経ち、私は代表取締役に就任した。
ここから本格的に注文住宅事業を加速させ、
直近5年間で社員数、売上ともに倍増。
この間、私がやってきたのは、
業界ではタブーとされる「型破り」なことばかりだった。
たとえば、借金してまで分譲事業に挑む。
たとえば、ハウスメーカーでもないのに、物流倉庫業を手がける。
周囲から、こんなことを続けていては倒産すると言われていた。
なぜ、そんなことをしてきたのか?
答えは簡単。私には、描く未来があるからだ。
日本で一番小さな山陰を、
世界で一番幸せなまちにする。
まずは家づくりの枠を超えて、まちづくりのすべてに携わることで、
山陰において圧倒的なシェアを獲る。
そしてシェアを高めることで、地域全体にシナジーを生み出し、
誰も見たことのない、幸せなまちをつくる。
これから山陰は、私たちの手で変わっていくだろう。
ともに、この景色をつくらないか?