幼いころから事業を営む父の背中を見て育った私は、
当然のように自分も経営者になるものだと信じていた。
学生のときから、未来の会社像を描くくらいに。
「人の幸せを通して、自己実現できる会社をつくりたい。」
この思いが顕在化したのは、入社してすぐだった。
最短距離で経営者になるため、私は大学卒業後すぐに父の会社に入社。
最初に与えられた仕事は、競売物件から債務者である住人を追い出すことだった。
簡単に言えば、住宅ローンを支払えなくなった人に、
「この家から出ていってください。と頭を下げる仕事だ。
この経験は、心に強く残った。
人を不幸にしたらいけん、と。
誰かがやらなければいけない仕事であっても、
私は、人を幸せにする仕事がしたい。
自分が望む経営者像は、そこにしかないと確信した。
それから10年が経ち、私は代表取締役に就任した。
以降、注文住宅事業に本格的に取り組み、
この10年で売上高はおよそ5億円から66億円まで拡大。
実に13倍以上の伸びだ。
この間、私がやってきたことは、
業界の常識からすれば、非常識なことばかりだった。
たとえば、ハウスメーカーでもないのに、自社で物流倉庫を持つ。
たとえば、売上を稼ぐ営業人員よりも、
職人や設計といった“つくる側”の人材を多く採用する。
正直、お金はかかる。利益も簡単に吹き飛ぶ。
周囲からは「そんなことを続けていては、倒産する」と何度も言われた。
では、なぜそんなことをしてきたのか?
答えは簡単。私には、描く未来があるからだ。
日本で一番小さな山陰を、
世界で一番幸せなまちにする。
その未来のためには、一時的な利益や効率よりも、
長く支持される「家づくり」が必要だ。
だからこそ、最高の家を提供できる体制づくりにこだわり続けた。
その姿勢が結果を生み、私たちの家づくりへの信頼と、
継続的な成長へとつながったのだ。
これから私たちは、成長スピードをさらに加速させる。
家づくりの枠を超え、まちづくり全体へ。
この山陰において、住宅を中心に、インフラ、文化、教育など、
あらゆる分野でシナジーを生み出し、圧倒的なシェアを築いていく。
そして、誰も見たことのない「幸せなまち」をつくる。
これから山陰は、私たちの手で変わっていくだろう。
ともに、この景色をつくらないか?